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『メランコリア』

 手持ちカメラで撮るラース・フォン・トリアー監督の作品は久々です。惑星メランコリアが地球に衝突するまでの数日間を描いていた作品で、ハリウッド作品でもよくある終末映画です。

 ただ、チラシ等の前知識がなければ、終末映画と思えないのではないでしょうか?結婚のパーティーの彼らの行動がなぜ?と思うかもしれないが、終末を迎えている世界の結婚パーティーなんだから、こんなんのもありなんだなと思えてくる。終末だから、彼らの心理状態がこんな状態だったのかと。

 終末を迎えていくにつれて、今まで平然としていた者が不安にかられていく。しっかりしていると思っていた者は、権力、お金、名誉という鎧がとてつもない天災に対して無力だと悟ってしまうとあっけない。逆に不安に恐れていた者は、終末が近づくにつれて、冷静になっていく。ハリウッドの作品なら、英雄が出てきたり、最後に仲違いしていた親子、夫婦が和解する感動シーンを入れたり、壮大なパニックシーンを撮ったりするのだが、この作品は、そうじゃない。淡々と終末へ進んでいく。というか本当に終末に進んでいくのかと思うほど淡々と進んでいく。英雄なんぞいないのだ。和解なんぞもしないのだ。

 冒頭の数分間の映像は、まるで映像アートで、素晴らしい。ラストにリンクしているのですが、ラストにそれを一切見せないし、完全に一致しているわけでもない。ただ、この冒頭のシーンは、キルスティン・ダンスト演じる彼女が予見していた映像だったのでしょうか?彼女は優れたコピーライター?だったし、彼女に見えた心の映像だったのでしょうか?

 それから、彼女がシェイクスピアの『ハムレット』の悲劇のヒロイン、オフィーリアのようなシーンがあります。絵画でよく描かれる狂ったオフィーリアが溺死する場面です。それを表現しているように思えたのですが・・・。

 そういえば、この終末の雰囲気は、伊坂幸太郎さんの『終末のフール』のようにも思えました。パニックの過ぎた後で、本当にあるのかという感じで終末を迎えるという感じが。

公式HP
by neo-hachi | 2012-03-04 00:53 | 映画